週報から このページでは毎週週報に掲載する牧師コラムを紹介します。


2012年9月2日 宣教の実践(その2)
 (主任牧師 東風平巌)

旧盆に入り、沖縄の各家庭は祖先を迎える伝統行事に慌ただしい様子です。壮大なエイサー演武を披露しながら道ジュネーが地域を練り歩き、旧盆の雰囲気を盛り上げています。「伝統を重んじる」「地域の文化を大切にする」ことはとても大切なことです。これらの行事は、私たちの信ずる真の神さまへの信仰とぶつからない限りにおいて、十分尊重されるべきです。

私たちに命をつないでくれた祖先に感謝や尊敬の思いを持つことはむしろ積極的に子どもたちに教えていくべきことです。「あなたの父と母を敬え」という聖書の教えにもつながっていきます。お墓を掃除し周辺の環境をきれいに保つこともよいことでしょう。

宣教では相手を見下げないこと、相手の価値観や信仰に敬意を払うことがまず大事です。同意できる部分は積極的に同意を表明しましょう。彼らの信じていることにも耳を傾け、無視や否定的な態度で相手を傷つけないようにしましょう。私たちも自分の信仰を頭っから否定されると不快な思いをしますよね。

では一線を引くべきところはないのでしょうか。もちろんあります。それはずばり、私たちが神以外のものを神としそれを礼拝することです。どんなに先祖が生前偉かったとしても、社会に対して素晴らしい貢献をしていても、すでにこの世にはおらず、私たちと現実に何のかかわりを持つこともなく、またできない先祖の霊は決して神ではないのです。この部分に関して私たちは時として厳しい態度を保つことも必要です。

その上で、私たちが信じている天地を造られた本当の神様、私たちのために死んでくださり罪を赦して天国への道を開いてくださったイエス様のことを愛をもって語ることができるなら素晴らしいですね。たとえすぐには受け入れてもらえなくても、私たちに対しての印象が否定的にはなることはあまりないはずです。そして時が来ればきっと心を開いてくれるでしょう。

イエス様が罪びとを受け入れられたことを思い起こしましょう。私たちもまた罪びとであり、イエス様に罪を赦された一人一人です。神を知らない民の中にあって謙遜に主に仕え、へりくだって宣教の働きを進めていきましょう。宣教は神の業に他なりません。


9月9日 正義と公正が行われますように (協力牧師 藤田久雄)

世は政治の秋を迎え、活発な運動が展開されています。民主・自民の代表者選び、米国の大統領選挙に向かっての前哨戦と喧しいことです。最近の日本の政治はどうも国民から遊離してしまって、民意を問わずに物事が進んで行ってしまう傾向が強いですね。

私たちキリスト者はどのように政治に向き合ったらよいのでしょうか。OBCの信徒手帳に私たちの信仰宣言が載っていて、その「教会と国家」の箇所には次のように記されています。

「国の政府は神によってたてられたもので、人間社会の安寧秩序のためであることを信じます。故に、私たちの良心の唯一の主にして王の王たるキリストの御旨に反しない限り、国家政府のために祈り、良心的にこれを敬い、これに従うべきものであることを信じます。」私たちは世の為政者がキリストの教えを知って、その御旨に沿った施政をするようにと祈り求めます。

詩編72編を交読しますが、これは神の義と公正がイスラエル(ユダ)の王によって守られ、民が平和を得て暮らすことができるようにとの懇願の詩です。時はバビロン捕囚の後、詩人は荒廃した国の現実を肌身に感じながら、なお、イスラエル(ユダ)の王がしっかりと立てられ、民の安寧に力を注ぐようにと詠います。これは私たちが沖縄にあって正に同じ思いをもって主に届ける祈りではないでしょうか。

「ナボトのぶどう畑」の物語を学びますが、アハズ王の暴虐ぶりはたいへんです。信仰に生きようとしたナボトはイゼベルの策略によって命を落としますが、アハズとイゼベルに対する主の裁きはやがて実現します。為政者の不実は国民の悲劇を生みます。このような人を選んではなりません。

今日はオスプレイに反対する県民大会が開かれますが、礼拝を守る私たちは参加できません。でも、平和を願う思いは参加する方々と同じです。世の中には悪が正義を圧倒するように思えるときがしばしばありますが、神さまはなおこの世を支配されています。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33b)主イエスのみ言葉が私たちを励まします。「正義と公正が行われますように」と祈り続けましょう。祈りは聞かれます。


9月16日 奇跡物語をどう読むか (主任牧師 東風平巌)

列王記上と下を通じて大活躍する預言者がエリヤとエリシャです。よく似た名前ですね。英語ではElijah とElishaと書き、それぞれイライジャとイライシャと発音するため、ますます区別が難しいです。

二人の預言者に共通することは、目覚ましい数多くの奇跡を行ったということです。信じがたいような奇跡ばかりなので、聖書学者や神学者の中にはこれらを歴史的事実として捉えない人たちもいます。では、私たちはどう捉えるべきでしょうか。もっとも大切なことは、「そんなばかな!科学的にありえない!」、とはねつけてしまわないことです。私たちを愛しお救いになる神はどんなこともおできになるのですから、そもそも不可能はないはずです。しかし同時に、「一字一句字義通り取らなければ」と盲目的に読んでしまうことも注意しなければなりません。

一つの物語の背後には必ず、それが神の言葉として保持され語り継がれてきた理由があります。また、超自然的な出来事に遭遇した時、それを見聞きした人がどのようにそれを文学的に表現しようとしたのか、ということにも注目する必要があります。その表現の方法は必ずしも私たちが当たり前に思っている方法と同じとは限らないからです。奇跡の背後にある神の意図をしっかりと読み取るということが大切です。

例を挙げてみましょう。創世記1〜2章にある天地創造の物語は歴史的事実でしょうか。詳細な表現まで科学的に正しいでしょうか。皆さんはどう思われますか?

私は科学畑の出ですから、天地創造の物語については科学的好奇心から随分調べたことがあります。一言で是か非かを言うことはとても無理ですが、私なりの結論として今のところ信じているのは、天地創造は歴史的事実であるが、創世記の記者は科学的な表現方法を取っていない、というものです。「???」と疑問に思われた方、この見解に興味のある方はいつでも私にお尋ねください。

しかし、聖書解釈にはいろいろあります。歴史をさかのぼって科学的に証明ができない以上当然です。結局のところ、私たちには聖書に書かれている事柄を信仰によって受け取るということが委ねられているのです。これは信仰の世界です。そして私たちはこの世界に目が開かれていることを感謝しましょう。


9月23日 高齢者に祝福あれ! (主任牧師 東風平巌)

敬老の日おめでとうございます(タイミングがちょっとずれましたが・・)。齢を重ねて信仰を育んできた高齢者の方々の上に、神様の豊かなお恵みがいよいよ増し加わりますように。

小禄バプテスト教会は、高齢者の礼拝参加者の割合が多い教会ですね。でもそれは特別珍しいことではないのかもしれません。日本では少子化が進み、今や日本において65歳以上のお年寄りは4人に1人です。日本の人口比を反映している教会ともいえます。これからも高齢者が喜んで安心して来ることのできる教会でありたいと思います。

聖書には年を経てから神様に用いられた人や神様にお仕えした人が数多く登場します。旧約ではノア、アブラハム、サラ、モーセ、新約ではアンナ、シメオンなど。お年寄りがその人生の中で経験してきた数えきれないほどの悩みや苦しみをすべて神様に明け渡し、深く信頼して歩んでいる姿ほど美しく尊いものはありません。若者の情熱と躍動感にあふれる信仰も素晴らしいのですが、教会が歩んできた歴史を思うとき、いぶし銀のように味のある人生を歩んで来られた先輩方に学ぶことがなんと多いことでしょうか。

しかし同時に、としかずが多ければだれでもそれだけで偉いのか、というとそうではありません。心がかえってかたくなになり、人間不信やわがままになるお年寄りも少なくないのです。もしかしたら、いよいよ人生の終わりに差し掛かり、死んだ後行くべき道がわからないことからくる不安や恐れがそうさせているのかもしれません。しかし、信仰者である私たちは、人生の終盤にこそ、近づいてきた輝く天国への希望を抱きながら、いよいよ謙遜さと喜びに満たされる者でありたいですね。

レビ記19:32に「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。」とあります。お年寄りはいつの時代にも社会にあって尊ぶべき存在です。それは神を畏れることにつながると聖書は語ります。残念ながら、お年寄りが孤独を感じたり心のよりどころを失ってしまっている日本の現実があります。イエスキリストの愛が高齢者の方々の心を満たし、彼らが信仰を持ってイエス様を受け入れ、永遠の命をいただいて喜んで天国へ凱旋できるように、これからも働いていきましょう。小禄バプテスト教会の高齢者の方々の上に神様の祝福が豊かにありますように!


9月30日 福澤牧人先生のこと (主任牧師 東風平巌)

今日の午後7時からOBC世界宣教委員会主催による世界宣教大会が胡屋バプテスト教会で開催されます。第二礼拝はそのためにお休みです。是非お時間を作ってお出かけ下さい。

講師の福澤牧人先生はこの8月より東京オンヌリビジョン教会の日本語部で牧会を始めたばかりの若手の先生です。5年前に沖縄を皮切りに全国で開催された韓流文化伝道集会ラブソナタでは、多くの集会で講師であった故ハ・ヨンジュ先生の通訳を務めました。

実は福澤先生とはネパールでは宣教師仲間で、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていました。毎週土曜日に子どもたちを通わせていたカトマンズ日本語補習校に福澤さんの子どもたちも通っていたことが最初の縁でした。それから毎週金曜日には日本語聖書集会で共に礼拝や交わりをするようになりました。

福澤先生はアメリカで聖書の学びをされていた時にチベット人宣教のビジョンが与えられました。そしてネパールに多くのチベット難民が住んでいることを知り、チベット人宣教のためにネパールに来られていました。チベット語を学びながらチベット人のための牧会を始められチベット語聖書の翻訳にも精力的に取り組まれました。英語、韓国語に加えさらにチベット語とネパール語を習得するほど語学が堪能です。しかしなによりイエス様に真っ直ぐな姿勢と宣教に向かう情熱にいつも学ばされていました。そして祈りと御言葉を何よりも大事にする宣教者としての姿勢は真剣そのものでした。

私の妻は韓国人である福澤先生の奥様との交わりが与えられ、蒔人と建人はほとんど同じ年齢である先生の二人の息子さんと仲良くさせていただき、お互いに励まし合い祈り合うことが出来たことは、ネパールの地で宣教を続ける中で決して小さなことではありませんでした。

今は福澤先生も私も神様から新たなビジョンが示されて日本宣教に励んでおりますが、同じような時期に同じ場所に神様が私たちを宣教師家族として送ってくださったことは、まさに神さまの御計画以外の何物でもありません。

お互いネパールでは困難な体験をしましたが、今では祝福に変えられていることを神様に感謝します。主に栄光がありますように!

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