週報から このページでは毎週週報に掲載する牧師コラムを紹介します。


2012年5月6日 就任式と退任感謝会を終えて
 (主任牧師 東風平巌)

先週の日曜日、小禄バプテスト教会では私の牧師就任式が持たれました。司式と説教のご奉仕をされた喜友名朝順牧師(沖縄バプテスト連盟理事長)、遠くから駆けつけてくださったデービッド&レスリー・ターリー宣教師、また私や妻の両親や兄弟姉妹などゲストとして祝福に来てくださった方々に心から感謝をしたいと思います。しかし何より、私や私の家族を喜んでこの教会に迎えてくださった小禄バプテスト教会の皆様に神様への感謝の次に大きな感謝を捧げます。私たち夫婦に用意してくださった大きな二つの花束、各自持ち寄ってくださった心のこもったお料理も本当にありがとうございました。

就任式が終わった午後、私たちは急いで那覇バプテスト教会に駆け付けました。そこで「東風平巌宣教師退任感謝と報告会」が行われました。就任式の後、一転して退任式です。順序は逆が良かったかな、と一瞬思いました。

この会は沖縄バプテスト連盟世界宣教委員会と東風平巌宣教師を支える会が共催で行いましたが、世界宣教委員会は私を送ってくださった直接の委員会で、支える会は派遣期間中、支援の窓口になってくださったグループです。私のネパール宣教はこの二つの団体なしには決してありえませんでした。そしてこの両者とつながる形で皆様の祈りと支援のネットワークが広がったのです。沖縄中の教会からこれほど祈られている人はいないのではないかと思うほど、私は皆様の祈りによって支えられてきたのです。なんと感謝なことでしょうか。主の御名をほめ讃えます!

今改めて思わされることは、小禄バプテスト教会における祈りのネットワークの必要性です。私自身、これまでの皆様の祈りに対し祈りで恩返しをしたいと思います。ご高齢の方やご病気の方のために、経済的な支援や心の支援が必要な方のために、子どもたちや中高生のために、そしてまだ救われていないご家族のために。

水曜日には午前と夜の2回の祈祷会が行われています。また水曜日から土曜日まで早朝祈祷会があります。皆様積極的にご参加ください!


5月13日 シリーズ旧約聖書の難問にメス!(その1) (主任牧師 東風平巌)

2月に始めた聖書通読を終えました!これまでの最短記録更新です!今年は通読を4回やってみようと意気込んでいますので、このペースでまた創世記からスタートです。意欲のある方、ぜひ一緒にチャレンジしてみませんか?

それにしても改めて聖書の面白さと深さ、そして難しさに気づかされました。旧約聖書の特にヨシュア記から歴代誌までの「イスラエル戦記物語」とも言うべき個所は、歴史の面白さだけでは済まされない深い神学的な問題を抱えています。なぜこれらの数多くの箇所で、私たちを愛されるはずの父なる神が、イスラエルの民に対し無慈悲にも異教徒たちを殺せ、と命じておられるのでしょうか。これに答えるのは簡単ではありません。彼らが偶像礼拝者であり、神を恐れぬ民であり、不品行と不道徳に満ちた放縦な生活を送っている堕落した人たちであることを差し引いても、完全に納得するのは難しいと思います。だからといって、こういった箇所が聖書に多く記されていることを私たちは無視することはできません。神の言葉に意味のない箇所は一つもないからです。私たちは自然に湧き上がる、「なぜ?」という問いを大切にしながら、聖霊によって知恵をいただきましょう。聖霊を通して理解が深められることによって、人知を超えた神様の深い摂理に触れ、より深く御言葉に信頼していくことができるでしょう。

現在私たちは聖書日課で士師記を主に学んでいますが、まさに難問だらけです。上記の問いとは少しずれますが、例えば19章のストーリーの一部はホラー映画並みに残酷です。神の言葉なる「聖なる書物」のはずなのに、これはいったい・・・?

一つ理解できることは、私たちの罪は昔も今もこれほどまでに深く醜いということでしょうか。聖書はどこまでも人間の罪の現実を曲げることなくありのままに伝えているのです。これにより、私たち人間は自分たちではどうすることもできないほど罪に汚れているということを知らされるのです。(このシリーズは連載ではなく、必要に応じて書いていきますのでお楽しみに!)


5月20日 シリーズ旧約聖書の難問にメス! (主任牧師 東風平巌)

旧約聖書の難問「神は何故殺せと命じたのか」(参考:ヨシュア記6:16-19、サムエル記上11:1-3など)について考えます。「殺せ!」という命令は残酷です。個人的にも、国家としても、人命を奪うという行為は人道的立場から厳しく禁止されなければならないからです。そこで大切なことは、神ご自身の性質との整合性、そして神がそう語ったとされる状況を吟味してみるということです。

聖書の根底を流れるゆるぎない真実の一つは、「私たちは神によって創造された」ということです。私たちに与えられている命は神からの贈り物というわけです。これを逆に見るならば、「命を奪う権利」を持っている方も究極的には神お一人のはずです。もちろん、神がいたずらにその権利を行使されないことは言うまでもありません。

もう一つ覚えたい聖書の大切な戒めは、「殺してはならない」という十戒の第六戒です(出エジプト記20:13)。これはイスラエル民族に対する命令であると同時に、時代や文化を超えた普遍性を持っています。そしてこの命令こそが神のみ心をはっきりと示すものとなっています。

この第六戒には、「殺意を抱いて殺してはならない」という意味合いがあります。これは過失による人殺しと区別されています。ですから当時は、誤って人を殺めてしまった人が復習を受けて殺されないための逃れの町が備えられていました。

一方で、神は律法を犯す人たちや不品行な者たちに対して、容赦なく死を宣告しました。一見矛盾したように思えますが、神と契約関係にあるイスラエルの民は神に特別に選ばれている一方で、その契約が破られた際にはそれなりの報いを受けなければならない立場でもあったのです。結婚と一緒で、夫婦の契りを交わした後に別の異性と男女の関係を持ってしまえば、激しい責めを受けるのは当然なのです。

実際にイスラエルは何度も反逆を繰り返し、神との契約を自分たちで破棄しようとしました。そのたびに神は彼らを戒めるのですが、神は決してご自分の民をあきらめなかったのです。あたかも不倫の夫を愛し続け、自分の元に戻ってくるのを待ち続ける妻のようです。(このシリーズは連載ではありませんが、必要に応じて加筆していきます。)


5月27日 サムソンのストーリーに学ぶ (主任牧師 東風平巌)

英語圏の人は聖書のキャラクターの名前を自分の子供に好んで付けます。旧約聖書だとDavid(ダビデ)、Sarah(サラ)、Joseph(ヨセフ)など、新約聖書だとJohn(ヨハネ)、Mary(マリヤ)、Peter(ペテロ)などが多いですね。しかし、有名な人物の割には全く使われない名前も当然あります。その筆頭がサムソンです。(韓国の電子機器メーカー「サムスン」は全く別物ですよ。)それというのも、自分の子供にサムソンのようになってほしいと願う親などまずいないでしょうから。

サムソンの特徴には女ったらし、キレやすい、わがまま、乱暴、KY(空気が読めない)などという否定的なリストが並びます。普通に考えて一番友達になりたくないタイプです。唯一、規格外の怪力の持ち主だったということが、かろうじて肯定的な特徴でしょうが、これも正しく用いてこそ役に立つのであって、サムソンの場合は先にあげた特徴と合わさり、とにかくいつも結果が常識はずれなのです。

こんなどうしようもないサムソンが神様の計画のため(具体的にはイスラエルの救いのため)に士師として用いられます。いくらなんでもこの人だけはやめてください・・・私がその場にいたら、神さまに思いとどまるように進言したかもしれません。しかし、いつも思うのですが、これこそ神様の業です。神様の知恵です。私たちのちっぽけな頭では絶対に考えもつかないような「神業」を繰り出してくるのが神様です。

サムソンの記事を読むと思います。「この人が神様に用いられるのなら、自分は絶対大丈夫だ。(笑)」そう思い思わず笑みがこぼれます。清く正しく生きたいと願うけれども、なかなかそうはならない私たちの人生。ダビデのように、パウロのようにと理想を高く掲げても、そこにははるかに届かない自分。そんな私たちに、サムソンは笑ってこう言うかもしれません。「お前たち、俺に比べりゃ上出来じゃねーか!」

一見不可解に思える士師記のこの記事も、こうやって考えるとやっぱり素晴らしい神様からのメッセージなのです。聖書はすべて生きた神の言葉です。これからもどしどし御言葉によって励まされ教えられていきましょう!来週からはサムエル記ですよ。

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