週報から このページでは毎週週報に掲載する牧師コラムを紹介します。

 

2013年2月3日 御心を行う生き方  主任牧師 東風平巌

クリスチャンにとって最高の生き方は、神のみ心を行う生き方を貫くことです。やること為すことみんな神のみ心であれば、その生き方には一片の間違いもありません。でも、そのような生き方は罪を絶対に犯さないという生き方であり、人間には決してできません。

そもそも神の御心をどうやって私たちは知ることができるのでしょうか。それがなかなかわからないから悩むのです。あらゆることに対して「私には神の御心がわかります」と断言して言える人は、うそつきか傲慢か頭がおかしな人です。たまに「神様がこう言いました。」と直接声を聞いたかのように言う方がおられますが、他の人にはその声が聞こえない以上、それが神の声であると証明することはできないのです。(そのような特別な啓示を完全に否定するわけではありませんが、せいぜい「このように示されました」と言うに留めたほうが無難です。)

クリスチャンの青年が御心に適う人と結婚したいと考えそのように求めることは素晴らしいことです。しかし、たとえぴったりの人が現れたとしても、「この人こそまさに御心!」と飛びつくのは注意が必要です。相手が同じように示されていないこともあるからです。

そう考えていくと、神の御心を知りそれを行うことは、とても不可能のように思えてしまいます。そうです、私たち人間には不可能なのです。まさにそこがスタート地点です。神の御心は真の意味で神以外にはわからないのです。

それでも聖書が私たちに神の御心を行うことを一貫して求めているのは、神がそれをおできになるからです。(だから神の御心なわけですが。)私たちにはできないけど神には何でもおできになる、という信仰が私たちの行動を神の御心へと向かわせます。神が私たちを通して働かれることを認めること、それが成るように神の御前に謙遜であり続けることが必要です。

聖書は神の御心をまとめた本です。御心を行おうと考える人は間違いなく聖書をじっくりと読み、御言葉に聴きます。しかしどんなに聖書を読んでいても、聖霊に導かれていなければ正しい理解ができません。聖霊を求め、御言葉に聴きましょう。そして私たちが用いられて神の御心が実現することを祈りましょう。


2月17日 家族の救い  主任牧師 東風平巌

先日は宮古バプテスト教会のファミリーキャンプで講師としてご奉仕させていただきました。元気で素朴な子どもたちやベテランの信徒の方々30人余りが熱心に耳を傾けてくださいました。

「信仰継承と家族伝道」がテーマでありましたが、各世代がバランスよくまとまっていて信仰も絆も強い宮古教会の様子を見ると、ある意味でこのテーマを一番必要としない(?)教会のようにも見えました。私の方が学ばされることが多い今回のご奉仕でした。

キャンプの準備の中で、私の家族や親族にどれだけ信仰が定着しているのか調べるために、3世代までさかのぼって家系図を書いてみました。私の信仰のルーツは母方の祖母にさかのぼります。下地幸子おばあちゃんは、戦前にバプテスマを受けてから92歳で召されるまで、見事に信仰を全うしました。幸一おじいちゃんはバプテスマは受けませんでしたが、しっかりイエス様を信じて天に凱旋しました。

この二人から4人の子供が生まれさらに12人の孫が生まれ、今ひ孫世代が21人に上ります。結婚相手まで含めると、確認できるだけでバプテスマを受けたのは34人に上ることがわかりました。(残念ながらその中には教会を離れている人もいます。)

私の妻の家系も調べました。妻もやはりおばあちゃんが信仰の始まりです。(さらにそのお母さんも信仰を持っていたらしいのですが、定かではありません。)妻の側には20人の受洗者がいることがわかりました。私と妻の母方の家族だけで50人余りが信仰を持つに至ったことを知って私は感激しました。さらに父方にもクリスチャンが何人かいます。神様の恵みがこんなに私たちの家族に豊かに注がれていたのです。

同時に、まだ信仰を持っていない人たちや教会を離れてしまった人たちがたくさんいることも改めて気づかされました。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」(使徒16:31)の御言葉を握り、もっと真剣に救われていない家族のために祈っていかなければと強く思わされました。

信仰継承は、神の恵みと祝福の遺産を次の世代に受け継いでいくことです。小禄バプテスト教会でもしっかりと信仰のバトンタッチができるようにお互いのために祈り合って生きましょう。


2月24日 タレント  主任牧師 東風平巌

夕方テレビのスイッチを入れると、人気のあるタレントが番組の看板として多数登場しています。美女やイケメン、歌ウマやお笑い、天然キャラなど、テレビの売れっ子たちはみなその人それぞれの個性を前面に出している人たちです。

芸能人という意味で使うタレントという言葉は和製英語だそうですが、その語源はもちろん英語のタレント(talent)で、才能、能力という意味があります。「あの人はたくさんのタレントがある」という使われ方もします。多くの「普通」の人たちにとっては、テレビに出るような才能にあふれた人たちは別世界の人たちのように思われるかもしれません。クリスチャンの中にも、タレントがあり、よく用いられている音楽家を見て、「自分にもあんな才能があればなあ」と羨望の眼差しで眺める方が時々おられます。

でもちょっと待ってください。神様は本当にタレントを特定の人にしか与えていないのでしょうか。もちろんそんなことはありません。タレントの種類は人の数だけあります。その人だけに与えられた特別なタレントは必ずあります。神様はそのようなタレントを神様の栄光を現すために用いることを願っておられます。

マタイ25章14節以降のイエス様のタラントン(=タレント)の譬えで、実はイエス様はトンデモないことを弟子たちに語っています。1タラントンしかない人、2タラントンしかない人、5タラントンもある人が登場しますが、タラントンってどれくらいの金額だと思いますか?1タラントンはなんと一般の人の6000日分の給料です。これは週休一日とすると20年分の給料です。

「私は20年分の給料しか与えられていない」と言って嘆く人は一人もいないでしょう。そんなことを言ったら「贅沢言うな!」と怒られるでしょう。そうです、神さまは私たちに贅沢すぎるほどのタレントをすでに与えられているのです。あなたがそれに気づかず、それを用いようともされなければ、イエス様がおっしゃったようにそれは取り上げられてしまうのです。

あなたにはタレントがあります。精一杯そのタレントを神様と人のために用いてはいかがでしょうか。かの日には、神さまが必ず「忠実な良い僕だ」とお声をかけてくださることでしょう。


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