週報から このページでは毎週週報に掲載する牧師コラムを紹介します。


2012年11月4日 ヨナが逃げた理由とは?
 (主任牧師 東風平巌)

ヨナという預言者は数ある預言者の中でも際立って異色の存在です。エリヤやエリシャのように圧倒的なオーラをまとっているようには思えません。神様から命じられたことを、「いやだ!」と拒否して逃げ出したり(ヨナ書1章)、とうごまの木が実っては喜び、枯れてはがっかりする様は(同4章)とても人間的で、むしろ親近感を覚える人も多いのではないでしょうか。

ヨナが神の命令に背いて逃げ出した理由は何でしょうか。それは、神さまが愛と慈愛に溢れた方で、きっとにニネベの町の人々をお救いになると知っていたからなのです。では、ニネベの町はどのような町だったのでしょうか。そこは当時イスラエルを支配していたアッシリアの首都でした(現在のイラクにあります)。自分たちの国を侵略し支配し我が物顔でのさばっているアッシリアなんて、ヨナにしてみれば目の敵でありまさに忌々しい存在でした。きっといつも心の中では「ニネベなんて神に滅ぼされちまえばいいんだ!」とでも思っていたに違いありません。そのにっくきニネベの町へ行き、その町の人に「悔い改めのメッセージを伝えなさい」という神の命令が、要するに神がその町を救おうとされている意思の表れであることがヨナにはすぐに分かったのです。

「いやだ!ニネベは自分たちの国を侵略したんだ。敵なんだ。なんで神様はそんなところに行ってメッセージを語れ、なんて言うんだ。あいつらがそれを聞いて本当に悔い改めたら、救われてしまうじゃないか。そんなのは絶対に嫌だ!あいつらなんて滅んじまうほうがいいんだ!」

ヨナのそのような気持ちはよく考えてみるとすごいことです。なぜなら、たとえニネベのように悪がはびこっている場所であっても、その町の人々が悔い改めたら神様がきっと救われるということを、ヨナは完全に理解していたのです。神様の偉大さ、懐の広さ、愛の大きさを十分に分かっていたが故に、ヨナは逃げ出したのです。

しかし、神さまは一枚も二枚も上手です。人は神の下を逃げ出しても逃げ切れるものではありません。不思議な方法でヨナはニネベの町に行くことになるのです。そこにはいくつものどんでん返しが待っていて、神さまの摂理にただただ圧倒されるばかりです。ヨナ書は旧約聖書の中の福音書と呼ばれる秘密がここに隠されています。

この素晴らしい物語を通してますます神を賛美しましょう。


2012年11月11日 選挙の一票とあなたの祈り (主任牧師 東風平巌)

先日、妻と共に一足早く那覇市長選挙の期日前投票に出かけました。クリスチャンにとっては、首長や議員を選ぶ投票日は日曜日に当たるため、何かと忙しいですよね。そんな人には期日前投票は本当に助かります。那覇市在住の皆様はもう投票はお済みになりましたでしょうか。

誰かに一票を投じるということは、自分の意思を表すことであると同時に、同じ支持者の票をワンポイント積み上げる行為です。数万票以上のうちのたったの一票です。知事選ともなると何十万票のうちの一票、アメリカの大統領選は有権者がなんと1億人を超えますので、一人の人の票はまさに大海の一滴に等しいほど小さなものです。

ですから、ある人は「自分が行っても行かなくても変わらない」と言い、無関心を装います。しかし待ってください。その数十万票の一票一票は誰かが投票した結果出てきた数字ですよね。そのたくさんの誰かがもし同じように「自分が投票しても変わらない」と考えたとしたら、いったいどうなるでしょう。その結果誕生した政治家がどんな悪い政治を行ったとしても、それは無関心だった有権者の責任です。どんなに小さな一票でも、私たちはそれを無駄にすべきではありません。

このことは私たちの祈りとも似ています。たった数分の祈り、あるいは一瞬の祈りは神様に聞いていただくには、あまりにも短すぎると考えてはいないでしょうか。もちろん長く祈ることも大事ですが、ここでは短い祈りであっても意味があるということを申し上げたいのです。「祈ってもどうせ意味がない」と考えて全く祈らなければ何も変わりません。Better than nothingです。ほんのちょっとの時間でも祈りましょう。

結局のところ祈りも積み重ねです。小さな祈り、短い祈りの積み重ねが、私たちの知らないところで神の御前に届けられているのです。票を積み重ねることで支持する候補者を当選に導くことが出来るのと同様、祈りを積み重ねれば、それだけ私たちの祈りは神様にしっかりと聞いていただけるし、確かな答えをいただくことが出来ます。

祈りを軽視すべきではありません。忙しくても一言の祈りは必ずできます。同じ祈りでいいのです。それを積み重ねていくことです。是非、あなたの祈りの姿勢を今一度点検してみてください。そして水曜日の「聖書の学びと祈り会」にまだ参加したことのない方は、是非足を運んでいただき、御言葉と祈りの素晴らしさを体験してみてください。


2012年11月18日 正義を洪水のように (主任牧師 東風平巌)

私が少年だったころ、テレビのヒーローものに夢中でした。仮面ライダーにウルトラマン、ゴレンジャーにマジンガーZなど・・・。どんなにピンチに追い込まれても、必ず最後には悪者を打ちのめすヒーローに憧れたものです。

スーパーヒーローの代名詞は「正義の味方」です。不思議なくらい繰り返し繰り返し「正義」と言う言葉が使われます。子どもたちにとってヒーローはまさに正義を行う存在でなければならないわけですね。そしてそのようなヒーロー像を描く番組を否定する人はほとんどいません。正義は子どもたちに必要なだけでなく、人間社会に普遍的に必要なものであることを、皆が知っているからなのでしょう。

キリスト者にも正義が必要です。いえ、神の言葉である聖書を読み神を信じている者であればこそ、世の人以上に正義を行うことに敏感でなければなりません。誤解を恐れずに言えば、正義を行うことは礼拝を捧げる以上に大切です。今日のアモス書5章21−27節の言葉がそれを示しています。教会に来ることや献金をすること、讃美や祈りや伝道をすることはもちろん大切なことです。しかし、神を信じる一人一人が、私たちに与えられた場所(社会の中)で神の御心に沿った正義を行っていくこと以上に、意義のある生き方はありません。

では正義を行うとはどういうことでしょうか。一言で言えば「神の愛の実践」です。社会的弱者や愛を必要としている人々に目を向けその必要を満たすこと、社会的問題の解決に取り組むこと、また社会の悪を厳しく問いただしていく姿勢も大切です。具体的に言えば、良きサマリヤ人の行いであり、イエスが行ったすべての業です。

私たちの社会には傷ついた人があまりにも多く溢れています。そしてこの社会は傷を与えても知らんふりしている社会です。そのようなことに教会が無知であったり見て見ぬふりをしているとするならば、厳しいようですが、そのような教会には命がありません。人の目や評価を気にすることなく、明らかに正しいと思うことは積極的に行っていく一人一人でありたいと思います。

「正義を洪水のように・・・尽きることなく流れさせよ。」(24節)のように私たちの教会が用いられることを祈っていきましょう。


2012年11月25日 搾取される人権 (主任牧師 東風平巌)

ネパールで宣教していた頃、ヒンズー教の影響を大きく受けているネパール文化の中で、人権問題について考えさせられる出来事が数多くありました。カースト制度という身分や職業や出身地によって細かく分けられている差別制度はその典型的な例で、低カーストの人が高カーストの人から受ける暴力的行為のことがたびたび新聞にも取り上げられていました。

女性や子供たちが受ける身体的暴力や人権侵害も深刻です。ある村では妻が満足に食事を与えられず、まるで家畜同然に扱われていたり、産後1日も経たぬうちに畑仕事に駆り出される話もよく耳にしました。女の子がわずかなお金のために人身売買に出されるケースや、わずか5,6歳で結婚させられる幼児婚の習慣も後を絶ちません。身寄りのない子どもたちを預かる児童施設が、外国からの金銭的支援を受けているその陰で、児童虐待を行っていたなどというケースは珍しいことではありませんでした。

これらの人権侵害は私たちの身の回りにももちろん存在しますが、アジアやアフリカなどの発展途上国では特に顕著です。キリスト者がこのような事実を黙認していいはずなど決してありません。先週「正義を行う人になろう」というお話をしたばかりですが、この分野でも私たちは積極的に正義が行われるように働きかけていかなければなりません。福音は言葉だけが伝えられればいいというものではなく、私たちの生活が変えられてこそ真の福音と言えるのです。

まずは祈りに覚えましょう。今すぐにでも始められます。捧げましょう。みんなが宣教師として出ていくことはできなくても、そのような人たちを背後から支援することはできますね。

今日は年に一度のBWA(世界バプテスト連盟)世界女性祈祷日礼拝を持ちます。今年は特にアジアの国々を覚えて祈ります。神様が愛されるアジアの人々のために心を向けましょう。そしてこの地域や国々にイエス・キリストの福音が届けられ、神の愛が豊かにあふれるように、搾取され続けている女性や子供たちの人権が守られるように心からお祈りしましょう。そして私たちが神様からの祝福をどれほど多く受けて生かされているかを考え、一層の感謝をもって日々を歩ませていただきましょう。


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